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1975 Honda CB500 Caf? Racer

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WHEELIKEからリブログ

私の知り合いで、家の事は全部お手伝いさんに任せている人がいます。生家がお金持ちだからです。住んでいるマンションもきれいなところです。
 仕事をする必要も無いので、やりたい事をやりたい時にやっています。時々ベンチャーに投資したりしているみたいですが、そこは詳しくはしりません。まあ、少なくともお金に関する事は心配してはいません。
  

 稀に他人から解放されている人もいますが、多くの人は他人と自分の境遇を見比べます。先の様な話を聞く時に、平静を装いながら私たちは心の底になんだかずるいという嫉妬の様なものと、それから自分との境遇を見比べて不公平感が湧いてくる時があります。

 そして、そらにその中から、それは結局他人の話だからとすぐ流れて行く人と、自分の中に何か流せないものが溜まっていくタイプにわかれていき、この後者のタイプの中に、さらに絡み始める人がいます。

 こういうタイプの人はだいたい正義を持ち出します。努力しないで成功するなんて良くない事だ。裕福ならもっと世の中に還元すべきだ。しかし、彼らにそれを強制する権利は、国にももちろん個人にも、彼らの親ですらできません。

 私たちは時に所謂成功者を見て『みんな必ず努力している』と言いますが、その実のところは『成功者には努力していてほしい』の裏返しである事が真相でしょう。成功にはそれに見合うだけの犠牲が無いと人は不公平に思ってしまうのです。

 アスリートも似た様な環境にいます。苦しいあの時を乗り越えたから今がありますというと受け入れられるのですが、努力してない、もしくはしてない様に見える人は世の中から反感を買います。大体嫌われるアスリートはこのタイプです。そして、そのアスリートがぽろっと弱音を吐くと、あいつも苦しかったんだなあと、急に人は共感し始めたりするわけです。

 努力があるから成果がある。努力していなくて成功するなんてありえないし、あってはならない事だと私たちは習ってきました。
 深い世界の成功の定義ではそうなのでしょうけど、残念ながら現世の『いわゆる成功』ではそうではありません。努力をせずにオリンピアンになった人もいますし、生まれながらに庭から石油が出てた人もいます。楽しいだけの人生も、早くして人生を終えるべくして運命づけられた人生もあります。犠牲と成果は釣り合わないのです。

 あるべき世界と現実の世界。この狭間で私たちは言いようの無い不公平感に襲われます。頑張ってもどうにもならない事があり、生まれながらに決まっている事があり、自分よりもずっといい思いをして生きているように見える人が世の中にはいるわけです。

 不公平だ。その感情がだんだんと、何か自分にとって許せないものを排除したい様な、社会の秩序の為に取り除きたい様な、一見正義とも思える感情にすり替わっていきます。しかし、姿形は変わってもその根源は嫉妬です。ですが、そこに囚われた人にはそれが嫉妬であるのかどうかすらもはやわからなくなってしまっていきます。

 
 世の中が間違えているんではなくて、犠牲と成果がバランスする、全てがフェアネスだという認識自体を疑わなければなりません。理不尽で当然、が世の常でしょう。情け容赦ない世の中を、それでもなんとかフェアネスに近づけようとしている、それが人間社会なのではないでしょうか。
 そして、一生懸命正義の様なものをぶつけようと相手に対して目が離せなくなっているその時間は、あなたの限られた人生の貴重な時間なのです。

 もちろん本当に正義に燃える時もあるでしょう。しかし、正義というのは空間と時間を限ってこそ存在できるものです。人生を賭けるべき正義は内省に内省を尽くさないと見つけられません。

 あれは許せない、正しくないと思ったとき、本当にそれは違う感情から来てやしないか。また、それは自分の貴重な人生の時間を費やすに値するか。そういう問いが一度ぐらいあってもいいかもしれません。人生は人に気を取られていられるほど長くはありませんから。

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Miyamarine tumblrからリブログ

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Miniature Food Art

by Christopher Boffoli

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『洗脳』……今までの自分を”暴力的”に破壊され、新しいアイデンティティを植え付けられる
一般的に、「洗脳」と「マインド・コントロール」という言葉は、似たような捉え方をされますが、その手法は大きく異なります。『洗脳』は、今までの『自己アイデンティティ(自分自身の心の核をなすもの。自分がどういう人間かを表すもの)』を破壊し、新しいアイデンティティを植え付ける手法です。強制的に「まったく違う自分」を作り出す、という行為になります。

例えば、19世紀、戦争捕虜などに対して行われていた洗脳では、「アイデンティティにおける『死と再生』」が掲げられていました。誰しも、生まれてから今までの人生で、その人のアイデンティティが培われてきていますが、これを、心身ともに虐待したり、攻撃したりすることで崩壊させ、「これまでの自己」と決別させるのです。そして、「新しいアイデンティティを受け入れれば、苦痛から救われる」という構造を作り、本人自ら新しい自分を受け入れるように仕向けていきます。

一旦、今の自分を粉々に壊され、“精神的な廃人“とされるという意味でも、「洗脳」は、暴力的で恐ろしい、非人道的な行為です。植え付けられた「新たな自分」は、他者に完全にコントロールされた人格なので、その者の欲求に従った行動をとるようになります。妄信的に洗脳者の言うことを聞く状態の人間というのは、このようにして作られます。

『マインド・コントロール』……暴力的に攻撃しない。本人が気付かないまま、新しい人格にすり替えられる
一方の「マインド・コントロール」は洗脳と違い、決して暴力で心身を攻撃するようなことはしません。こちらは、その名のとおり、「マインド(心理)」を巧みに操作することによって、本人もコントロールされていると気付かないままに、新しい人格にすり替えられてしまうのです。当人には、「誰かに強制されている」という意識が全くないため、一度ハマると、抜け出すことがなかなかできにくいのも特徴です。

心理学者の西田公昭氏は、カルト宗教の勧誘手口を分析することで「マインド・コントロール」の手法を詳しく調査しており、主な勧誘の流れを、以下のように説明しています。

まずは個人的に親しくなる。自分に好印象を持たせ、好意的な関わりを保つ
⇒それによって、自分の話や勧誘内容に「好奇心」や「期待」を持たせ、相手自身から、それに関わろうとさせる

つまり、マインド・コントロールでは、被害者に「無理強いではなく、自ら選んだ道ですよ」と思わせることが、要なのです。相手が進んで心を開くように、もっていくのですね。被害者たちは、「勧誘内容が正しいかどうか」を判断してから関わり始めるのではなく、好意的な行動によって先に勧誘者に心を掴まれ、セミナーや講義などを受講するなど、かなり深く関わった後から、「これは正しい会だ!」と判断をし、ハマっていくのだそうです。

簡単にまとめると、「今のお前はダメなのだ。変われば救われるぞ!」と攻撃的に追い込んでくるのが、洗脳。「仲良くなりましょう、私はあなたのことを考えているのよ……」と親しく近寄ってくるのが、マインド・コントロール。どちらも、心が弱っていれば、その言葉にすがってしまうことが誰にでも起こりうる、恐ろしい心理操作です。

ですので、自信喪失しているとき、心が疲れた、弱っていると感じたときは、見知らぬ人、近寄ってくる人ではなく、必ず、家族や長く関係を続けている友人などに、頼り、助けを求めるようにしましょう。環境を変えたり、田舎へ旅に出たり、休みを取って好きなことをしたりなど、普段から自分で「心を健康に保つ方法」も、しっかり身につけておきたいものですね。
Hit On My Headからリブログ

今年もまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。

これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。

速度は秒速二十九.七キロメートル。

マッハ九十三。

安全です。

他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。


                          星新一著 『きまぐれ博物館』より

鈴木さんまとめからリブログ

Spaghetti al Pesto 77sec